岡崎・蹴上にはこんな名所があるよ。
昔の写真と見比べながら、おさんぽしてね!
オススメの
おさんぽコースはこちら!
徒歩5分 蹴上発電所の取水口と管路が見えるよ!
徒歩3分 左手の道路越しに見える施設が蹴上浄水場なんだ!
徒歩8分 南禅寺の境内へ進もう!
徒歩21分 鴨東運河沿いをてくてく
徒歩14分 田辺橋から鴨川運河沿いに行こう
徒歩5分 蹴上発電所の取水口と管路が見えるよ!
徒歩3分 左手の道路越しに見える施設が蹴上浄水場ね
徒歩8分 南禅寺の境内へ進んでね
昭和4(1929)年
第3トンネル西口の扁額は、三条実美の「美哉山河」(意味:なんと美しい山河であることよ)。西口の前に佇むれんが造りの重厚感ある建物は「旧御所水道ポンプ室」で、迎賓館赤坂離宮や京都国立博物館等で知られる建築家・片山東熊が設計しました。
昭和15(1940)年
疏水上流の蹴上船溜と下流の南禅寺船溜の間にある約36mの高低差を、疏水を行き交う舟が乗り越えるために設置された傾斜鉄道。建設当時、傾斜鉄道としては世界最長でした。昭和52(1977)年に当時の姿が復元されており、春には線路内を歩きながら満開の桜並木を楽しむことができる人気スポットです。
琵琶湖疏水建設工事の主任技師として活躍した田邉朔郎は、その後も北海道の鉄道や関門トンネルの建設に尽力したほか、東京帝国大学・京都帝国大学の教授を歴任するなど、土木技術者・教育者として、日本の近代化に大きく貢献しました。
明治45(1912)年
京都市で最初に建設された浄水場で、日本で初めて急速ろ過方式を採用しました。水道水の原水は第2疏水から取水し、サイフォンの原理で浄水場に送られています。つつじの名所として有名で、毎年花の咲く時期に合わせ、ゴールデンウィーク頃に一般公開されます。
明治45(1912)年
アメリカ視察でヒントを得た田邉の提言により、明治24(1891)年に日本初の事業用水力発電所「蹴上発電所」が誕生しました。水力発電により得られた電力による工業生産や電気鉄道など、京都発展の一大原動力となりました。昭和17(1942)年に市から、関西配電(現在の関西電力)に移管されました。
「まんぽ」とはトンネルを意味する古い言葉です。蹴上インクラインの下を通り、南禅寺に向かう歩行者用トンネルは、螺旋状にれんがが積まれており、渦を巻いているように見えます。南北の出入口には北垣国道による扁額「雄観奇想」、「陽気発処」が掲げられています。
明治21(1888)年
水路閣は、第1疏水を蹴上から北へと分岐させた疏水分線の一部で、南禅寺境内を通る水路橋です。全長93.2m、高さ約9mの風格ある構造物で、社寺が多く点在する歴史的な景観に溶け込んでいます。この分線に沿って北上すると、「哲学の道」として親しまれる散策路(若王子~銀閣寺道)に続いています。
大正13(1924)年
蹴上インクラインの下流側、南禅寺船溜から夷川船溜までは鴨東運河とも呼ばれています。疏水の流れに沿って美術館やコンサートホールなど文化施設が立ち並んでいます。例年3月末から5月初旬にかけては、十石舟が運行しており、特に桜のシーズンは水上から疏水沿いに桜が咲き誇る優雅な景色を眺めることができます。
夷川船溜は、琵琶湖疏水に存在する船溜の中で最大規模の面積であり、明治29(1896)年から京都有数の水泳場として長らく親しまれていました。この船溜では、疏水建設に尽力した第3代京都府知事・北垣国道が、琵琶湖疏水の起工書を左手に携え、堂々と佇んでいる姿を見ることができます。
大正3(1914)年
蹴上発電所の完成以降も、電力需要は増加し、供給が追いつかないほどでした。明治45(1912)年、第2琵琶湖疏水の完成によって、十分な水量を確保できるようになり、大正3(1914)年4月に夷川発電所を、5月には伏見発電所(現在の墨染発電所)を新設。電力供給量を増強しました。